制作における制約について

「人はアートを見て何に反応するのか それはアーティストと制約との格闘だ」ソール・スタインバーグ (オースティン・クレオン.『クリエイティブの授業』.千葉敏生 訳, 株式会社実務教育出版,2012,148)

制作を行うようになってから上記の言葉に触れ、とても腑に落ちました。絵画や音楽その他いろんなアートに当てはまりますが、一つの作品を鑑賞する時、その作者が置かれていた状況や考えていたことなどの背景を知るとより興味を持って接することができます。

一つの作品を作る時、本人が自覚していようといまいと制作者はある制約を課されています。それは手法だったり、人手だったり、時間や資金だったりするかもしれませんが、何も制限がない状況下で行える人はおそらくいないでしょう。その意味で一つの作品を観る時、鑑賞者はその制作者が置かれた制約の中での創意工夫を見ていると言えます。

Youtubeの動画もそれぞれ一つの作品としてみるとき、その制作者が置かれた制限について考えることでより面白くなります。私はハードウェアが好きなので、それらを駆使して電子音楽を演奏する動画をよく見ますが、DAWでなんでも作れる時代にハードウェアで制作するというのはそれ自体が自らに一定の制約を課している行為になります。我々はその制約を共通認識として持った上で鑑賞しているわけです。

色々観ていると個人的に好みの動画にある傾向があることがわかってきました。音楽のクオリティが高いものや映像作品としての完成度が高いものはもとより、機材の数を絞って一つか二つの機材で作品を作り上げているものが観ていて面白いのです。

少ない機材にフォーカスして作品に仕上げる行為はより視聴者に制約をわかりやすく提示しているので、観る側としては制作者の工夫や美意識がわかりやすくなっているのだと思います。また結果的に作品自体が尖ったものになっていることが多いのも興味を惹かれる理由かもしれません。

制約が多いほど作品を仕上げるにあたり制作者が苦心する割合が大きくなり、結果的に作品が尖ったものになるというのは違う世界でも当てはまります。カレーのスパイス(クミンやカルダモンなど)は混ぜる種類が多いほどそれぞれの尖った部分が緩和され、結果的に食べやすいものになります(より広く受け入れられやすい味になる)。そして使用する種類を減らせば減らすほど尖った味になります(好き嫌いが分かれるが、個性があり印象的な味になる)。

これを前述の動画の話に当てはめると、たくさんの機材を机に並べて「デスクトップオーケストラ」を演奏するスタイルと一つの機材に絞って演奏するソロスタイルになるでしょうか。この場合も尖ったものは後者に多いと感じています。

私がインスパイアされた動画がこちら

Volcaなどのガジェットシンセにフォーカスしてパフォーマンスしている方です。圧巻のVolca Bassソロ45分!
ブックラミュージックイーゼルとペダルエフェクターだけでパフォーマンスする素晴らしくストイックなスタイル

もちろん機材だけで個性が決まるものではありませんが、私の好きなアーティストの中で使用するスパイス(ツール)を絞ることで結果的に突き抜けた個性を形成している例を考えるとレイハラカミさんにまず思い至ります。彼の作品を聴くとRoland SOUND Canvas Sc-88Proという音源モジュールとEZ VISIONというシーケンサーによる明確な制約の中で創意工夫し、作り上げた美意識に浸ることができます。

レイハラカミさんのトリビュート企画の書籍を読むと、なぜそれらの機材にこだわって使用しているか問われて

「出したい音の出し方がわかっているから」「新しい機材の使い方を覚えるより、作品制作に時間を使いたい」

と答えたとのことです。(由良泰人.「プロのアマチュア、原神玲」.『ユリイカ』. 青土社, 2021, 245-251)

ツールをあえて絞った結果独自の表現に至るのか、自分の表現を追求した結果限られたツールに絞られるのかは人それぞれでしょうが、結局は自分のツールを深く知り、そこからできるだけ多くのものを引き出すよう努めることが自分の表現に至る重要な要素であることを再認識しました。

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